アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2015-09-10

「明日の準備は?」の声掛け

2学期が始まりました。

1学期は学校に慣れることが一番と、
登校班集合の時間に間に合うように、忘れものなく、送りだすことが親の使命とばかりに声掛けをしていました。

1学期の息子の様子を見て、声掛けはしなくても大丈夫と思えるものから、2学期からは少しずつ声掛けを減らしていくことにします。

登校班集合の時間へは1学期の当初から目覚ましは自分で掛けて、自分で起きることは概ねできているものの、

目覚ましの確認や、起きてからの時間のペース配分にちょこちょこと声掛けをしていましたが、
この声掛けも
「ご飯準備できたよ~」と
「10分前だよ~」のこの2回に減らしました。

忘れものしない=準備を自分で完結することについても
「2学期になったから、声掛けしないから、明日の準備は自分でしてね」と宣言して、
「分かった」と了承をいただいたので、声掛けを全く止めました。
(ただし、宿題をするということについては別のものと考え、声掛けをしています。親のサインとか見守りとかが必要な宿題がまだ続いているので、それがある以上、共同の課題としたいと思っていて、それについては子どもにも了承を得て、声は掛けています。)

親としては明日の準備は寝るまでに済ませてほしいし、 1学期はそうして準備をするように声掛けをしていましたが、息子の場合は、その習慣は結局のところ声掛けをしているだけでは身に付かなかったようです。

息子はもう寝ていますが、机の上には、筆箱、連絡ケース、宿題ノートが置きっぱなしのままです。

それでも朝は出発の1時間前には起きて、ちゃんと準備をしているのでよしとします。

忘れものをしないというのが目標であって、それを前日に済ませるまでは高望みしないことにしました。

そもそも、私も準備はギリギリの人で、 「準備は早めにした方がいいけれど、ま、ギリギリでも何とかなるよね~」と思えるのが幸いして、 机の上に、筆箱、連絡ケース、宿題ノートが置きっぱなしのまま、息子は寝てしまうこの状況を見ても陰性感情が出て来ず、課題の分離もスムーズにいっています。


準備がギリギリでイタイ目にあうことはあるけれど、その時はその時で臨機応変に対応できる力も養ったというか、それがいいのかどうなのかは私的感覚では分かれると思いますが、イタイ目にあって=結末を経験して学んでくれたらそれでいいかなっと。

その結末を経験して「準備は早めに」と学んで実行できるようになれば万々歳!
結末を経験して「準備は早めに」と分かってはいるけれど、実行できなくても仕方ない・・・
これくらいの気持ちで見守っています。 なんせ、親の私ができない人なので、「自分のことは棚に上げて」、子どもに強いるわけにもいかないので。

そんな私が親をしているので、目標は、準備を早めにするではなく、忘れものをせず、必要なことは自分で用意すること。それがギリギリでもよしとします。


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親の私的感覚が育児に及ぼす影響って大きいと書いてみて思いました。


私の私的感覚では、子育ての目標である「自立する」「社会と調和して暮らせる」に照らし合わせたとしても、いつまでに準備をするかにこだわる必要はないと思っていますが、

早めに準備をして、丁寧にちゃんと備えたいという私的感覚をお持ちのお母さんには、机の上に明日に必要なものが置きっぱなしのこの状況に陰性感情を持たれるかもしれません。

陰性感情を持つと対処行動を起こしますので、ついつい小言を言ってしまうかもしれません。



もちろん、私も「共同体感覚」からすると、こだわる必要のない「私的感覚」を持っていて、ついつい要らぬ小言を言ってしまうことがあります。なので、子育ての目標は「共同体感覚」に照らし合わせる必要があるということを常に意識したいと改めて思いました。

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ちなみに息子は心配症、心配症の息子だからこそ、慎重な行動をし、忘れものをしない、遅刻しないができているのだと思います。課題の分離から学ぶことも多いと私も思えるのですが、
これが「何とかなるよね~」と考える娘ではこの課題の分離だけでは学ぶ前に、多くの方にご迷惑を掛けてしまうような気がし、課題の分離から共同の課題にできる方法を探る必要があるように思います。2年後のお楽しみ?!

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