アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2016-02-11

失敗は不適切な行動ではありません

この記事を書いた時の私から少し成長したと思います。
今の私がアドレリアンとしてどの位置にいるかは分からないけれど、この記事が口先アドラー、非アドラーであるということは分かりました。自省するためにこの記事は残しておくことにします。

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小学1年生と年中を育てている今、子どもは失敗をいっぱいします。
ただただ頑張ってみたけれど、上手くいかなかっただけということがいっぱいです。

特に年中の娘は好奇心が大きく、「自分でやりたい」がいっぱい

牛乳をコップに入れてみようとしたけれど、こぼれたとか、
ちょっと手を伸ばしたら、ご飯茶碗に手があたって床にこぼれちゃったとか、
物を取ろうとして、イスにのぼろうとしたらバランスを崩してこけちゃったとか、

そういう失敗を通じて成長するんですよね、子どもたちは。

頭ではよく理解しているんですよね~
「物を取ろうとしてイスにのぼろうとしたらバランスを崩してこけちゃったとか」はガミガミ母さんの私でも、イラっとはしませんが、

牛乳をこぼされたりすると本当にイラっとします。だから、牛乳をコップに入れように頑張っている姿をみたら、子どもの失敗からのイライラを避けるために「お母さんがするよ」と代わってやって、子どもの経験を奪ったりすることがあります。

これはお手伝いでもそうで、娘が夜ごはんの準備を「手伝おうか?」と申し出てくれるのに、「今日はいいわ」とお断りをしてしまうのですよね。特に仕事から帰って、急いでご飯の支度をしている時の申し出は嬉しいものの、実際、手間が増えるわけですから、断固拒否です。

そんな日常を送りながらも、モヤモヤしています。
成長を望んでいながらも、その成長の芽を摘んでいるように感じているからですかね?

そんな日常を見つめて、子どもの失敗に私がイライラする目的を考えてみます。

牛乳がこぼれる→掃除をしなければならない→私の手間が増える→いらないことをしないで!私に迷惑をかけないで!となるわけです、私の場合は。

この一連の流れのどこかを改善すればいいわけですよね?

「牛乳がこぼれる」前に断ち切っては、子どもの経験を奪います。
「掃除をしなければならない」では、牛乳がこぼれたままの部屋で過ごすには色々不都合です。

というこで、「私の手間が増える」を改善することにしました。

私の手間ではなく、子どもの手間にしてもらおうと掃除は子どもに任せることにしました。
子どもたちがすぐに動けるように雑巾は子どもの手の届くところにおいておきます。

牛乳がこぼれたら

母「牛乳を自分で入れようと頑張ったんだね」
子「うん」
母「頑張ったけど、こぼれっちゃったんだね」
子「うん」
母「こぼれた牛乳はどうしようか?」
子「キレイにする」
母「じゃあ、お願いね」

牛乳を入れようと頑張ったことを認めて、こぼれたという失敗から学ぶ、これが理想かな?
自分で掃除をすることがはじめてならば、その掃除の仕方は丁寧に教えればいい。
小学1年生と年中が親が求める完璧な掃除ができないだろうけれど、そういう流れを過ごすことで、感情的になりそうな場合も落ち着けるかな?

突発に起きる出来事だからこそ、冷静に対応できるといいな。

そして、掃除をした子どもにも勇気づけの声掛けを、これが一番大事。

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