アドラー心理学「勇気づけ」で
「自分の問題を自分で解決できる能力がある」子どもたちのお手伝いができるよう日々鍛錬中

2016-09-03

朝の時間

子どもたち、朝は比較的強くて(目覚ましよりも早く起きたり、目覚ましで起きたり、たまに声を掛ける必要がある時間でも、少しの声掛けで起きます)、今のところ起床においては陰性感情を持つことはほとんどありません。

ただ、朝を起きて、時間があった時に子どもたちが思うことはゲームかテレビのようで、これが私の私的感覚を刺激します。

私の育った環境は、ゲームは別として、朝にテレビをつけることがなかったんです。
朝にテレビを見るか見ないかはそれぞれの家庭の判断でよし。
しかし、私はどうしても平日の朝にテレビを見るということにはモヤモヤしてしまいます。

「平日の朝にテレビを見る」ということは共同体感覚には反していないけれど、私的感覚を刺激するというのが正しいところでしょうか?
ダンナも朝にテレビを見るという感覚は持ち合わせておらず、結婚してもここに問題が起きなかったけれど、子どもが大きくなって、「平日の朝にテレビを見る」ということに関して、私的感覚が違う者同士が暮らすことになりました。

さ、どうしましょう。

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